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若い頃は、スポーツというのはバカ養成過程だと思っていた。高校の図書委員長だった私は、4階の図書室の窓から校庭を見下ろし、ゴールを決めてガッツポーズでアピールするやつらを眺めて、鼻で笑ったものである。 同じ校庭の片隅で、ヘルメットを被ってデモをしているグループがあった。その数名のほうに私は共感を覚えた。けれども、話をしてみると何を言っているのかさっぱりわからなかった。おそらく、しゃべっている本人も。 あれから40年! 体重はほぼ変わらない(増減はあった)。しかし、高校生の私からみれば、現在の私は完全にバカの範疇である。かつては、悩みは悩み通すのが真摯な生き方だと信じていた。それが今はどうだ。 心が弱っていても、danceで汗をながすと立ち直る。trfのまねをしてポーズをとったりすると、なおいい。 これからバレエを習ってみたいというのが、バカの密かな野望である。 この女性も、前回のイヴと同じような姿勢で苦しんでいる。こんな深い森の奥まで来て。嘆く姿を誰にも見られたくないのか。植物の細密描写が孤独さを際立たせる。 愛は、煩悩の最たるものだから、しばしば絶望が訪れる。しかも、おそらくその解決方法は、ない。傷ついた獣のように、じっと回復を待つしかないのだ。 そのためには、これが最善の姿勢なのかもしれない。 夜はアトリエで酒を飲みながら、中島みゆきを聴くのが日課になっている。愛なんてどこにもないと思えば気楽、とか、風の中で波の中でたかが愛は木の葉のように、とか、反語的表現にしびれる。 40年前と変わらないものは、体重のほかにふたつある。 いまだに未熟であること、やっぱり一人であること。これが、私の「60歳の原点」であります。 by フジグリーン・メグ スリノキネット #
by kimagure-art
| 2016-01-28 10:59
| モダンアート
荒れ放題だった庭を整理した。ネコヤナギを伐採、ローレルは移植。ツタやシダを根こそぎ抜去して、花壇が甦った。パンジーのセルトップ苗を100株(!)植えた。かつての同志であり友人のS氏が3日間手伝ってくれた。ありがたや。 隠れていたクリスマスローズが背伸びをするように葉をひろげ、早くも頭を出したスイセンが陽光を浴び、むかし地面に敷いた平板やレンガが現れる。 何だろう、この感じ。最初はこうだったんだ、と思い出させる。そう。 その部屋には5年半、住んだ。郊外の駅前の1DK。洗濯機とベッドは知人からもらった。冷蔵庫は買った。テレビも買った。テーブルとイスも。電話をひいた。本棚も増えた。その他もろもろ。はじめは、ストイックに暮らすつもりだったのだが。 そこを引き払うことになった。増えつづけた生活物資を運び出すと、部屋は広々とした。引っ越してきた頃のことを思い出した。が、感傷にひたる暇もなく呼ばれて車に乗り込んだ。振り返ることはなかった。30歳目前だった。 裸のイヴの横には少しかじったリンゴが転がっている。アダムの姿はない。このイヴは、早くも悔恨に苦しんでいる。これまでとりあげた中世の絵とは違い、彼女は近代的な自立したイヴである。 聖書では、イヴはアダムの肋骨からつくられたことになっている。しかも、アダムがひとりでは淋しかろうという神さまの思し召しだという。 えっ、そうなんっすか。じゃ、ひとつあっしのあばら骨からもお願えしやす。 だめ。おまえはもう楽園追放されてるから。 当時、私は私なりの「恋と革命」に生きようとしていた。思いとは裏腹に、その内実は稚拙でいい加減だったけれども、もっとも濃密な季節でもあった。 洲之内徹は「人には誰でも、いい思い出もあれば、できれば消してしまいたいような思い出もある。しかも、果たしてそのどちらが多いであろうか。」と書いている。異議はない。 しかし、あの5年半に限れば、消したい思い出は、少ない。 by フジグリーン・メグ スリノキネット #
by kimagure-art
| 2015-12-24 11:12
| モダンアート
今回のTRF EZ DO DANCE は倖田來未の「バタフライ」である。ステップはシンプルだが、ウェーブなどの体幹を使う動きが多いので見た目よりきつい。 倖田來未の曲なんて、ものまねのキューティーハニーしか知らない。前回の東方神起も、やかましくて嫌いだった。 ところが、である。曲にあわせて踊っているうちに、体が覚えてしまう。気がつくと、洗濯物を干しながら口ずさんでいるのだ。倖田來未や東方神起を。 初期キリスト教は音楽を禁じていたという。なるほど。 バタフライ・ガーデンを目指したことがあった。蝶が好む花をそこかしこに植えて、色とりどりの雅な舞いを楽しもうという貴族的趣向である。 ランタナは花期が長く、花数も非常に多い。しかも強靭である。成功した。冬を除いて、わが庭ではいつも花から花へと蝶が遊ぶ。 秋の日差しの下、オレンジと黒の羽根の蝶がもう一匹のまわりをしきりに巡っていた。ひらひらと遠ざかったり近づいたり。求愛のDANCEである。専門家でない私には、そう見える。 たとえば蝶のカップルを擬人化すると、こんな絵になるだろうか。人跡未踏の密林の只中、場違いと思えるファッションの男女が休んでいる。女が足を痛めたらしく、男がちょっと見せてごらんとしゃがむ。 「ここが痛い?」「もう少し上のほう」「ああ、ここだね」「そう。ひねったみたい」「これじゃ歩けないな。ぼくが背負うよ」「でも…」「いいから」 勝手にしてくれ! 誰も邪魔せえへんで。 しかしながら、昆虫界でも動物界でも、恋にはたいてい邪魔がはいる。ライバルであったり、自然現象であったり。むろん人間界においても。逆にそれで燃え上がったりする。恋に欠かせない調味料か。 当時の若者文化を毛嫌いしていた洲之内徹が、晩年、中島みゆきに傾倒したことは以前書いた。私が倖田來未や東方神起のファンになることは、たぶんない。たぶん。 でも、明日はTRF EZ DO DANCEの発表会(!)。東方神起の「オーシャン」を踊ってきます。 by フジグリーン・メグ スリノキネット #
by kimagure-art
| 2015-11-02 12:09
| メグスリノキ
かつては染物工場の一角をアトリエとして使っていた。採光は悪いし、夏は絵肌に汗が飛び散り、冬は指先が冷たくオイルは乾かず、画材は散乱する。でも不満はなかった。子どもをモチーフにした絵などを描いていた。 夕刻になると、その子どもたちが呼びにくる。ごはんだよ。そして、いっしょにいたずらがきをしたり、ダンスをしたりしてひとしきり遊んでから、食卓に向かう。妻は、ミイラ取りがミイラになったとでもいいたげな顔で迎える。 その頃、自画像を描いていたら、このドニのような表情になっていただろうか。絵と家族があればほかに何もいらない。幸福そうな画家のまなざし。 ところで、木まぐれ美術館としては、若干腑に落ちない点がある。すみません。へそ曲がりなもので。 落葉樹やエスパドリーユの様子をみると、季節は冬だ。ドニもタートルネックを着ている。だが、左端には野の花が。これは春だ。 さらに女性たちに目をやると、あれっ、半袖じゃないの。季節感喪失の家族。いやそうじゃなくて、画家は、人生を四季にたとえているにちがいない。 それにしても、木を落葉させているのはなぜか。枝の曲がり方もちょっと嫌な感じがする。こんな姿のアメリカデイゴを見たことがあるが、さて。 キャンバスにかけた布も気になる。さらに、壁の下の黒っぽい人物。いったい何をしているのだろう。私には、埋めた柩に土をかけているように思えてならない。 なんだか、「幸福そうな画家のまなざし」は撤回したくなってきた。筆を置く日が近づき、喜びと悲しみに彩られた半生を回顧して、ああ幸せだったと確認するまなざし。そう訂正しよう。やや長いけど。 来週から都美術館で新構造展がはじまる。去年、今年と私の出品作のモチーフは、ダイオウグソクムシである。水族館で何年も餌を食べずに生きていた海底生物だ。 それは、私のひとつの憧れでもある。 by フジグリーン・メグ スリノキネット #
by kimagure-art
| 2015-09-12 11:10
| モダンアート
暗闇の中で、身体中に次々と衝撃を受けた。小さな箱に閉じ込められて坂を転げ落ちているような。ひどい悪夢だと思った。 目が覚めると自宅の階段の下に横たわっていた。次女が大丈夫?とのぞき込んでいる。ああ、と照れ笑いなんぞしながら、階段を上って2階の自室に戻った。いったい何があったんだ。 頭に手をやると、膨らんでいる。床には血が点々と。次女を呼ぶとすぐに来て、救急車を手配した。痛いという感覚はない。しかし絶対におかしい。おれはどうなってしまうんだ。 救急隊員が質問する。はっきりと答えた。意識は明瞭だ、と自分に確認する。だが、どこか現実味に欠けている。ひょっとして、やはり夢の途中なのか。 救急車は深夜の街を疾走する。明日のTRF EZ DO DANCE は出られないな。いや、当分だめかもしれない。いやいや、もう二度とDANCEできないことだってありうる。 あっという間に病院に着いた。車いすに座っていると、誰かが物陰からこちらをうかがっている。視線を向けると消えた。そうだ、数日前からこいつがちらちら見えていた。 オレに三途の川を渡らせようとしていたやつが。 裸の爺さんが、欧風三途の川を渡っている。右の岸に行こうとしているようだが、そっちは魔物や戦乱が荒れ狂う地獄草子のようなところ。左の岸は、羽を生やした天使が招いているから、たぶん天国だろう。 ただし、植生や地形は同じ。地獄も天国も常緑樹が茂り、野には花が咲く。爺さん、しっかり見極めろや。 舳にいるちっぽけなのが水先案内人か。オレのまわりをうろついていたのは、こいつだったような気もする。 CTとX線検査では異常はないといわれて家に帰された。床についたとたん、全身が痛くなった。痛くて眠れない。寝返りもうてない。 翌日手がしびれたようになり、あわててMRIを撮った。専門医は脳ではなく頸椎だ、四、五日が山だからといって首に固定帯を常着するよう命じた。 そう、頭は、たまたま階段下に次女が置いていた段ボール箱に当たって、助かったのだ。もしそうでなかったら、木まぐれ美術館もどうなっていたかわからない。 きっと、天国にいる妻が、まだこっちに来なくていいわよ、といってくれたのだ。ありがとう。 これから、TRF EZ DO DANCEに行ってきます。 by フジグリーン・メグ スリノキネット #
by kimagure-art
| 2015-07-24 12:27
| メグスリノキ
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