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私はとっさにそばにあった園芸用の鉄製支柱を手にとった。さあ、来るなら来てみろ。フェンシングのように、私は支柱をネズミに向けて構えた。 動物は、基本的に人間とは違って愚かな争いは好まない。ネズ山さんは剣豪の気配を察して踵を返し、元の電線を隣家のほうに渡っていった。 ネズミは用心深く賢いらしいから、あいつの訪問は当分ないだろう。
実は深更の来訪者は以前にもあった。あの夜は、朝飲んだバリウムを早く排出するという名目で、やはりベランダでビールを飲んでいた。 5本の電線の一番太い、ちょうどドレミのミの線上を黒いものが左手からゆっくり動いてくる。短い足が4本、尻尾はやたら長くて力強く、ネコより二回りほど大きく細長い。 夜空にくっきりと浮かんだ異形のシルエットに、私は本来の意味での鳥肌がたった。
さて、この絵には何が描かれているか。いろいろ調べて、かくかくしかじかと分析的に物言う派と、絵は色と形だから、何が描かれていようがどうでもいい派の、おおまかに二派に分かれるだろう。 あるいは、展覧会で音声ガイドを借りる派と借りない派。私はどちらかというと、どうでもいい派で借りない派である。 それでも、木まぐれ美術館に陳列したのは、多少物言う派にも足がかかっているからか。
異形のものはそろりそろりと電線上を歩き、わが家への分岐点で、一時停止した。そしておもむろに右折して、前足で支線に乗り出した。 そこで私はガバと立ち上がり、物干し竿を振りかざしたのである。ちょうどドの位置にあったそいつの頭の先に、弁慶の長刀が。 と、講談ならそうなるわけだが、私の脳裏には、物干竿に飛び移ってこちらに突進する牛若丸がよぎって、弁慶は九郎判官にしたのであった。(つづく)
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by kimagure-art
| 2018-10-03 12:44
| 日本の絵
毎夕、2階のベランダでデッキチェアに腰かけて缶ビール(税法上は「その他の醸造酒」)を飲む。景色というほどのものはない。強いていえば、空を横切る何本もの黒い線。電線である。 これに野鳥が止まる。ポピュラーな鳥に限らない。近くに親水公園があるからか、エッというようなやつもいる。デカい白鷺がサッと降りてきて、池の魚をかっさらって飛び去ったときは、たまげた。
ひところ減少したという雀が、電線に止まった。この雀Aはミミズのような獲物をくわえている。もう1羽雀Bが隣に止まり、獲物に興味を示している。 と、ミミズは途中でちょん切れて下に落ちた。すかさず、雀Bが急降下した。分け前にあずかれてよかったな。うんうん。ところが、である。 雀Bは、獲物をくわえて元の電線に戻り、なんと、それを雀Aに口渡しで返したのである! 雀Aはさも当然のようにそいつをくいっと飲み込んだ。
この絵のカラスは、そんな心優しい鳥たちではない。柿のうまいところだけを狙い人間と争う、狡猾な「空の狼」である。 動物には、所有、という不幸をまき散らす観念がないから、庭だろうが畑だろうがやってきて、権利を叫ぶ人間に追い払われる。でも、ここで木に登る人間たちは、カラスとの競争をまるで楽しんでいるかのようだ。 私もこの柿もぎに参加したい。 電線を伝うのは、電気ばかりではない。数本の電線のうち一番太い線が、各戸に配線するため枝分かれしている。これを利用して、アイツがやってくる。 まず、ネズミ。夜、デッキチェアに座って月を眺めていると、電線上を小さな黒い影が動いている。そいつはわが家への分岐点に至って、迷わずこちらへ進路を向けた。私はガバッと立ち上がった。 小さな黒い影は、10センチほど枝線を降りたところで、フリーズした。(つづく)
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by kimagure-art
| 2018-07-16 20:59
| 日本の絵
びっくりして声の主を見た。年齢性別は、あえて書かない。店員は一瞬戸惑って、えーっ、肥料のことですか、と問い返した。 そだねー、と思った。ここはペットショップではない。植物を販売している園芸店なのである。
だが、待てよ。ひょっとして、この客は食虫食物を多数栽培していて、その辺をうろうろしているハエだけでは足りず、「餌」を買いにきたのか。あのギザギザの口で虫を捕らえる貪欲な植物たちの。 私は、聞き耳を立てた。果たしてエサは。
ああ、うんうん。 客は曖昧にそう答えて、沈黙した。その後のやりとりは、もう耳に入らない。明るい窓辺にずらっと並び、大口を開けてエサを待つ肉食植物どもの姿は、幻影に終わった。 けれども、その恐るべき幻影は私を捕らえて離さず、早くも私の目は店内を見回し、食虫植物を探しているのだった。 あったら買いたい。そして私もきくだろう。エサはありますか?
かくの如く、幻影は不思議な力をもつ。理想とか、恋愛とか、ほぼ幻影だし。画家は、高原に何の幻影を見たか。 木彫りのような葉っぱやトンボ。消え入りそうな月。生命、が感じられない蒼い荒野。ここは海底かもしれない。 矢崎博信。昭和19年2月、トラック島沖で戦死。
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by kimagure-art
| 2018-03-13 15:25
| 日本の絵
中島みゆきではないけれど、人生は、つきつめれば別れと出会いなのかと思う。今年は、大きな別れと数多くの出会いがあった。 ダンスでは、3人オルグしてチームをつくり、11月の発表会で踊ったりした。曲は、アリアナ・グランデの 'bang bang'。 しかも、ミニオンの衣装でそろえて、これがウケた。寝室には、いまだに黄色と青のミニオンがつるされている。
5月、アリアナのコンサートでテロがあった。翌月、彼女は追悼のチャリティーコンサートを同じマンチェスターで行った。 'Somewhere Over the Rainbow' を歌うアリアナは涙ぐんでいた。ユーチューブでそれを見ながら、私はもらい泣きをしてしまった。 巨大音楽産業の興業における、単なる一コマに過ぎないのかもしれない。であっても、アリアナは、確かに現代の歌姫である。
この絵に出会ったのは、竹橋の近代美術館だった。立ち去りがたく何度も絵の前を行き来した。 丸太と石、水面と空。それだけなのだが、それだけではない。ああ、こんな絵が描きたい。…ひょっとしたら描けるかも。 画集を目の前に置いて模写をした。実に考え抜かれた構成であることがわかった。ため息が出た。
マクニールやトルストイを読むと、例えばナポレオンが現れなくても、人口増加圧力などでああいう戦争が起こり、社会構造が変わったのだろうという気がする。 しかし、ゴッホが現れなかったらどうだったろう。あの絵が、ゴッホ以外の誰かに描けたとは思えない。 大塚耕二。昭和20年7月30日、ルソン島プログ山で戦死。
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by kimagure-art
| 2017-12-20 11:52
| 日本の絵
けれども、本体のほうは1週間たち2週間たっても、いっこうに変化はない。やはり切り過ぎたか。いくら強靭で有名なパキラでも。 この絵の花は百日草だろうか。あるいはマリーゴールド。鉢植えではこのように何種類もびっしりと咲かせることはむずかしい。 赤瀬川原平は、齢とともに絵の好みが変わったと書いている。ルネッサンス、ロマン派、印象派、後期印象派というように。 #
by kimagure-art
| 2017-08-15 14:42
| モダンアート
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