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ゴッホは「炎の人」ではない。 残された絵を見てそう思う。私たちが好むところの芸術への激情と破滅的人生の物語は、たぶんゴッホからはじまった。しかし、そもそも、激情で描かれた絵が、人の心に届くことはない。 西洋画において画家が個性を出してもよいことになったのは、印象派が受け入れられてからである。 クールベが貧しい農民の埋葬を描いた絵は、ナポレオン3世によって鞭打たれた。ターナーはモップで絵を描いていると嘲笑された。ジャーナリズムはモネの「印象・日の出」を揶揄して、印象派と命名した。 そういう時代をへて、今では、作品を画家の人生で味付けして賞味するのが当たり前になった。何にでもマヨネーズをかけて食べる種族をマヨラーと呼ぶらしいが、およそ絵画解説者は、すべてマヨラーだといって過言ではない。 画家ゴッホは、その絵の中にだけ存在する。書簡集や戯曲に登場するゴッホは、また別のゴッホである。 前置きが長くなった。私はこれから「絵の中の木」のことを書こうとしている。そして、それによってあらためて作品そのものを鑑賞したい。そういう趣旨で、少し演説をぶってみた。 ど真ん中に糸杉の巨木が黒々とそびえ立っている。威容ともいうべき樹勢だ。しかも上のほうは画面からはみだして、梢は想像の中に描かれる。天空にあるはずの星と月が、まるで脇侍のように糸杉の左右に控えている。 これは、ご神木である。南仏にはご神木というものはないだろうが、かりに日本人が集団で移住したら、いつの間にか根元のあたりに注連縄が結ばれている。そんな木である。 もっとも、キリスト教以前のヨーロッパでは、老樹や大木を崇拝していた。宣教師ボニファチウスは、そういう木を「蛮族」の目の前でドンスカ切り倒しながら布教したというが、逆に異教徒を取り込むためにはじめた行事がクリスマスなのだった。太陽の力がもっとも弱くなったときに、常緑樹を飾って無事を祈っていた風習が、クリスマスツリーの起源である。 聖書のどこを探しても、イエスの誕生日についての記載がないと知って、私は驚いた。神仏習合、なんでも折衷は日本の専売特許のようにいわれるが、そんなことはないのである。 さて、そのご神木の下を、畑仕事帰りの男たちが肩を並べて歩いている。 そういや、ポールんとこの娘っ子は、だいぶ色気づいてきたでねえか。 まったくだ。近頃は豊作つづきだから、まあ、どこでも色気づいとる。 いやいや、糸杉と星の見える道でそんな話はけしからぬ。ゴッホが許さない。何事もなくきょう一日を送れたことを神に感謝しつつ、作物の出来について語りあっているのだ。だから、男たちの歩く姿はぎこちなく硬い。 彼らのご先祖さまも、何代にもわたって同じようにこの道を歩いたのだろう。糸杉の下を静かに語り合いながら。 ただの糸杉も、次々と生まれては死んでゆく動物たちを何百年も見守りつづけると、こうして月と星を従えるご神木になるのである。そういう木の前で、私たちは圧倒的に小さい。 by フジグリーン・メグスリノキネット #
by kimagure-art
| 2009-01-16 18:34
| モダンアート
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