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司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵をただ一人弁護して武帝の逆鱗にふれ、死を賜った。しかし、史記を完成させるため、名誉の死ではなく敢えて宮刑を選択し、残生をその執筆に費やした。 武田泰淳は「司馬遷は生き恥をさらした男である。」と初期の代表作『司馬遷』の冒頭に記す。生き恥をさらしても、歴史の波間に消えてしまう人々の営為・功罪を書き残すのだという強靭な意志がなかったら、史記の豊穣な世界は未完のまま終わっていた。 司馬遷には比べるべくもないが、誰しも何かを記録に残したいという欲求をもっている。それで写真を撮ったり、日記をつけたり、文化財に落書きしたりする。 この男もそうだ。自分が仕留めたライオンを記録に残そうというのである。魚拓とか剥製ではありふれているが、一流の画家に絵を描かせるというのは、滅多にない。これはもう、二重の意味で自慢である。なるほど、どうだ、といわんばかりの顔をしてますよ、この男。 でも、こんな散弾銃で本当にライオン狩りができるんですかね。服装もアフリカらしくないし。どうも胡散臭い。 さらに奇妙なのは、画面を縦に貫く太い木の幹である。荒い木肌からして松の類だろうか。主題を妨げるがごとく、画家(観賞者)とモデル(モチーフ)の間に立ちはだかっている。 いつものように勝手に想像してみる。 花の都パリには、客にいろいろな扮装をさせるスタジオがあった。で、庶民にも広まりつつあった写真撮影をして金をとるのである。だから背景なども実にいい加減だ。ライオンだって、どうでもいいような感じである。 と、ここまで書いて、今でも観光地に行けば似たような商売があることを思い出した。 そうすると、主題を妨げるがごとく、ではなく、ひょっとして、そのために、この無遠慮な木が描かれたのではないか。すなわち、絵にすると、本物っぽくなってしまう。違うんですよ、これ。作り物なんですよ、と、その「ぽさ」を否定する仕掛けが、どんと突っ立つ松の幹なのである。 なぜそうなるのかを説明すると、理屈っぽくなるからやめておく。どだい「ぽさ」とは怪しげなものなのである。 by フジグリーン・メグ スリノキネット
by kimagure-art
| 2011-05-04 10:07
| モダンアート
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