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去年の夏前、ユキヤナギの下の球根を掘り起こした。白い花弁に黄色の冠がキュートな日本水仙。毎年、冬のさなかに真っ先に春を告げる。 三密、が大罪であると叫ばれていた(今でも)。そうだ、水仙も密になりすぎている。植えかえればもっと気楽に咲くだろう。 シャベルで少しづつ掘ってみる。出てくるわ出てくるわ、月給取りの昼休み。 これが小判だったら、もう正直じいさんになっちゃう。 しかし。ここに日本水仙を植えた記憶がないのだ。球根が増えたにしても、こんなにたくさん。 と、気をそらすとガリっとシャベルの先が命の球を削り取っている。ああ、最悪。チャペック師もこう注意喚起する。 庭に飛び出した園芸家は「シャベルをへし折り、去年の秋に植えたチューリップの球根を、どうにかこうにかたたき切ることに成功する」。 自分しか愛せない呪いをかけられたナルキッソス。この絵は白金の庭園美術館で観た。カラバッジョの凄さは、写真では到底伝えられない。 マスクをつけない他人の顔をじかに見なくなって1年がたつ。TV画面の中で大口をあけて笑っているヤツラはいったい何なんだ、と思う。こっちは高いヨネックスマスクをしてダンスしているというのに。 早く人の素顔を見ながら話をしたいなあ、という吹き出しをつけたくなる。 さて、秋に50個ほどの球根を庭の隙間を探して植えた。別の球根があったりして、多少の犠牲もでた。 掘りきらなかった水仙が年内に芽を伸ばし、正月には花を咲かせた。その後、あちらこちらで土を押しのけて、緑の芽が現れた。 今は、次々と花を咲かせ、早春の風に揺れている。ひょっとして、むかし妻が植えたやつなのか。ま、そういうことにしよう。
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by kimagure-art
| 2021-02-19 12:23
| ルネッサンス
![]() 次の日も、その次の日も。梅雨が明け、夏も過ぎ、キンモクセイの香りが街に満ちても、二度とあの歌声を聴くことはなかった。 私の舞台からは主人公が消えた。現れるのは目の前を横切ってゆく鳥たち、ときにはコウモリ、ばかりだ。
角田光代訳によってはじめて源氏物語を通読できた。生きているうちに読めてよかったと本当に思った。 光君はうつくしく、歌に秀で演奏も得意だし、すごくいい香りをいつもまとっている。もちろん裕福だから、絶対的二枚目。 しかし、早くに亡くした母への追慕はやまず、その面影を宿した紫の上に先立たれ、深い悲しみのうちに、この世を捨てる。 そういう話だったのだ。
サントロペ。昼寝。 題からしてユーミンの歌のように軽薄でゴージャスである。男女の姿勢も服装も植物も家具も、色彩も構図も、すべてが富の表現である。 歌声を響かせるジャスティン。宮廷で管弦を奏でる光源氏。 けれども、華やかさは一瞬の夏だ。 夏を惜しめ。
光源氏の実の子は天皇の子として生まれ、子として育てたのは実の子ではなかった。これも悩みの種であった。 アへ政権の後継者を名乗るスカ政権ではあるが、はたしてどうか。 ケツの穴の小ささは同様、というかむしろさらに小さくなった。小ささを隠さない。恥ずかしげもなく。 軽薄でゴージャスだった過去の政権が懐かしくなってしまう。 #
by kimagure-art
| 2020-10-15 16:38
| モダンアート
![]() 私が毎夕ビールを飲むベランダは、三方が胸の高さの壁に囲まれ、頭上は半透明の屋根が覆っているので、椅子に座ると眼前はあたかも映画のスクリーンとなる。 家の前には五本の送電線とその上下に各戸への配線が横切っている。この五線譜ならぬ七線譜が、いつも変わらぬ舞台装置である。 ちなみに、ハクビシンが伝ってきたのも七線譜の線上であった。 わたしだけのシアター。演じるのは、野鳥たちだ。なかでも電線やTVアンテナにとまって、よく通る歌声を聴かせてくれる鳥(種類不明)が主役である。ジャスティンと名付けた。 ある夕、黒い影が不意にスクリーンに現れ、いちばん下の線にとまった。カラスだ。すると、ジャスティンがさっと飛んできていちばん上の線にとまり、激しく鳴きはじめた。 自分の何倍もの大きさの闖入者を威嚇しているのであった。 この絵の主役はもちろんチーターなのだが、しかし、目はどうしても後ろの木にいってしまう。 右の木はその辺にありそうだ。左の木あるいは草も、かろうじてどこかのサバンナあたりに生えているかもしれない。 是非とも一本ほしい。ぶら下がっているのが実なら、その前の花が見たい。庭に植えればそこはもう異国の地である。入手できなくとも、せめて植物名を知りたい。 私はビールを飲むのも忘れて自然のドラマに見入った。と、カラスは羽を広げて左のほうに飛んでいった。ジャスティンは逃がすか、とばかり素早くあとを追った。 行くな! ジャスティン。 私は心の中で叫んで缶を握りしめた。(つづく) #
by kimagure-art
| 2020-08-04 20:07
| モダンアート
![]() いいや、片隅にね、ちらっといるんだよ。いつも。男は反論した。 僕がいいたいのはそういうことではなくて。ということばを飲み込んで、私は、ああそうですかと答えた。
そこは高層ビル内に本社を置く某企業の一室。創業者が収集した多くの絵画が贅沢に展示されていた。 男は父が遺したそれらを元手に画廊を開きたいのだという。 君に任せたい。男は隣に立つと、私の肩に軽く手をのせていった。
それから男の行きつけの高そうなクラブに連れていかれた。いつの間にか男がいなくなったので女性に尋ねた。 これよ。女性は小指を立てて薄っすらと笑った。 バブル最盛期の頃の出来事である。
もちろん、というか、残念ながらというべきか、私は断った。その後、画廊がどうなったのか、知らないし、知りたくもない。 銀座四丁目の交差点に行きかう人がいない光景を見て、こんなことを思い出したのだ。あれ以来、ユトリロがちょっと嫌いになった。
自粛の次は自衛だと殿が命ずる。バケツリレーか竹槍か。で、そのあとは? 裸の王様は、犬の頭を撫でながら、続々とインパール作戦を発令中である。 贅沢は敵だ! と叫ぶポスターに、かつて庶民はこっそりこう書き足した。 贅沢は素敵だ! #
by kimagure-art
| 2020-06-13 12:31
| モダンアート
一昨年の初夏、ペチュニアの苗を買ってきた。ホワイト、ピンクとヴァイオレットの3株。 これを10号鉢に、ラ・マルセイエーズを口ずさみながら(若干色は違うが)寄せ植えにして、玄関先に置いた。もっともポピュラーな飾り方である。 寄せ植えはよくみかけるが、実は難しい。株によって成長の度合いが異なるから、はじめに思い描いたバランスは徐々に崩れていく。 最初はホワイトが優勢だった。鉢の半分以上を占めてさらに進撃する。と、ピンクが逆襲を開始した。ホワイトを押し返し互いに4割を支配下に。 夏の陽ざしに咲き誇るホワイトとピンク。絶体絶命のヴァイオレット。どうなるペチュニア三国志。 だが、季節は過ぎる。例の切り戻しという嵐が鉢を襲った。するとどうだ。二強は往時の勢いをなくし、秋口に枯れた。一弱は、無事だった。 無事だったとはいえ、か細い茎にしがみつくような花。私はこれを3号鉢に移して、南向きのベランダの棚に置いた。激戦を生き抜いた老兵。 木枯らしの中も、雪が降っても、老兵は一輪、必死に咲きつづけた。春になると、隣の空いていた鉢に小さな双葉が生えた。雑草? いや… 二代目はひょろっと育ち、夏には薄いヴァイオレットの花を咲かせた。初代もまた、宮沢賢治の詩のように、休まず咲くのだった。
二世代はやはり、冬の間も凍えながら咲きつづけた。そして、今年の春先。棚の下段にあった5号鉢をふと見た。 ワイングラスに似た形のしゃれたテラコッタ鉢だが、なぜか苗が育たず、古い土のまま放置しておいたのだった。 これに、見覚えのある双葉が、表土を覆うように生えていた。そして、ぐんぐん成長し、今、鮮やかなグラデーションの花を咲かせている。 その三代目の姿である。 #
by kimagure-art
| 2020-04-22 13:07
| メグスリノキ
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