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私の通った高校は、隅田川をはさんだ浅草の対岸、向島というところにあった。昨今は東京スカイツリーの足元といったほうがわかりやすい。校歌の作詞者が幸田露伴だから、歴史だけは古かった。 近くには、酒井抱一が命名した百花園があって、「下校デート」の密かな名所であった。もちろん当時は、酒井抱一は日本史で覚えなければならない名前のひとつに過ぎなかった。 東京大空襲では奇跡的に焼け残った地域で、少し歩くと永井荷風が『濹東綺譚』の舞台として描いた街、玉ノ井がある。 『濹東綺譚』は荷風の最高傑作と評されるが、私がそのよさをわかったのはごく最近のことだ。あれが朝日新聞に連載されていたというのだから、昔の新聞読者というのはよほど大人だったのだろう。 荷風は、大逆事件の際、自分には「ゾラの勇気がない」としてそれまでの生き方を転換する。創作の源泉は、下町に江戸の面影を、さらには寂寞を求め歩く散策となった。 そういう韜晦的な散策とは違って、この絵は理想的な散策である。 緑が生い茂った湖畔でオシャレをした男女が語らい、労働者風の二人の男はのんびりと湖面を眺めている。 ここはどうしても樹が必要である。でなかったらただのダムである。よほどのダム好きでなければ、散策には不向きだ。 カンカン帽の男だって、樹に寄りかかっているから絵になるのである。寄りかかってちょっと下を向いている男を、日傘をさした女がまっすぐ見つめている。 あれ? 二人は何の話をしているのだろう。余計なお世話かもしれないけど。 我が家の近所にもプロムナードがある。荷風の頃は清流だったが、私が子供時分にはドブ川となっていたのを下水化し、上に流れを再現して両岸に植樹し遊歩道をつくった。 親水公園と名付けられたそこは、春は桜の花びらが川面を埋め、夏は蝉しぐれ、朝な夕な多くの中高年がウォーキングで健康維持を図る公共施設となった。 健全である。いっとき、橋の下にホームレスが住み着いたことがある。区民やその飼い犬が眉をひそめずに歩けるよう、たちまちそこは封鎖された。 しばらくして、人家から離れた河川敷に段ボールハウスが現れた。区民も区役所も国土交通省も見て見ぬふりをすることに決めたらしい。だから、今もある。 そこは、かつて荷風が散策した場所だ。 「隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。やむことをえず、わたくしはこれに代るところを荒川放水路の堤に求めて、折々杖を曳くのである。」(『放水路』) by フジグリーン・メグ スリノキネット
by kimagure-art
| 2012-08-16 00:00
| モダンアート
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