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植物は、動物に比べて生死が曖昧なところがある。 たとえば、剪定した落葉樹の枝を庭の隅に放っておくと、切らなかった枝と時を同じくして芽吹いたりする。もっとも、その先はない。いずれ枯れてしまう。 逆に、すでに枯れたと思っていた枝が根を生やすことがある。枯れた、という状態は、何なのだろう。 生と死の中間、といった領域があるような気がする。 枯木は、おそらく使い道が少ない。ましてや、この絵のように枯れて伐られた雑木は、薪にしかならないだろう。 晴れた晩秋の空の下、秋色の空き地、向こうの民家、そして遠くの林が、落ち着いた佇まいを見せている。この穏やかな里山に見守られ、3本の枯木は寄り添うようにしてその時を待っている。 ところが、この調和に異を唱えるものがある。 画面を引き裂くように走る黒い電線だ。しかも、異様に太い。さらによく見ると、電線上には、やはり黒い人影がある。 人影は、宙ぶらりんである。いずれ地上から去るのである。けれども、まだ去りたくない。運命に抗うかのように不安定な電線に腰掛けている。 己を枯木に見立て、さらにそれを中空から眺める画家の分身。 作家の桐山襲は死を覚悟して、『未葬のとき』という小説を残した。自身が火葬場の煙となって、昇天するまでの間、しばしこの世を漂う話だ。 桐山襲は、この絵を知っていたのではないかと思う。 絵に人生というマヨネーズをかけない、という宣言を初回にした。 しかしながら、死、だけは別である。 これは、小出楢重の絶筆なのである。 by フジグリーン・メグ スリノキネット
by kimagure-art
| 2009-09-29 21:20
| 日本の絵
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