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昔の人は夜明け前から働いていたから、床につく頃にはくたくたである。私の祖母は、寝るより楽は江戸にもない、と一人ごちながら布団に入ったものだが、寝ているよりほかになくなると、楽は苦に一変した。 動けないというのは、辛いものである。 大方の植物も動けない。種が落ちたところに根を張る。しかも、そこで成長できるのは、体力と偶然に恵まれた場合だけだ。なので、一人前になった木は、まあまあの暮らしをしているはずである。 ところが、人間の都合で植えられた木は、そういうわけにいかない。窮屈な鉢とか汚れた空気などに耐えながら、静かに生きている。 この並木も、昔々に植えられた。おかげで人間たちは、容赦ない陽射しや風雨を避けて、荒地を移動することができるようになった。秋の収穫もできる。まさに実用の並木といえよう。 そのうえ、都会の街路樹と異なり、どの木も頑健に育って、十二分にその役目を果たしている。背の高い木も、横幅のある木も。 そう、よく見ると、この並木は一本一本、姿も体格もずいぶんと違う。けれども、その違いをうまく利用して、お互い衝突しないようにうまく枝を伸ばし、葉を繁らせた。ときに擦りあったりするが、それはむしろ握手のようなものである。やがて、表情のある、すなわち絵になる並木ができあがった。 そんな歴史を考えてみる。 木は、ものをいわない。だが、ときどき、木同士で話をしているのではないかと思うことがある。並木道を歩いていると、一陣の風が吹き抜ける。頭の上で、さわさわ、さわさわ、と聞こえるのだ。木の会話が。 何を話しているかは、わからない。しかし、がつがつと暮らす私たちには及びもつかぬ深い精神性をもっているような気がする。なにしろ、じっと動かず、地中の栄養分と水と日光だけで生きているのだ。人間だったら、仙人のレベルである。 仙人よりも、私は木になってみたい。 by フジグリーン・メグ スリノキネット
by kimagure-art
| 2009-06-07 21:15
| モダンアート
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